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怪文書と技術ネタ

生きづらさを考える

生きづらい。

なんとなく、生きづらい。

そんな、「なんとなく」うまくいっていない感じを抱えたまま生き続けてきて、決定的な破綻をして7年くらいもがき苦しんだ末にいろいろと見えてきたものがあるので、ここらで少しまとめておきたいと思う。

コアにあるのは愛着の問題

愛着障害?子ども時代を引きずる人々? 光文社新書

愛着障害?子ども時代を引きずる人々? 光文社新書

回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち (光文社新書)

回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち (光文社新書)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々』『回避性愛着障害 絆が希薄な人々』この2冊を読んだとき、まさに自分の探し求めていた答えはここにあったのだと、世界観がひっくり返るような衝撃を受けた。

たとえば、次の一文。

回避型の人が性的な営みを楽しめるのは、長期的な重荷や責任を背負わされるという憂いがなく、その場限りの関係をもつことができるときである。(『回避性愛着障害 絆が希薄な人々』

この本を読む前、私はこのようなことを言っている。

引用部での分析がピタリと、一分の隙もなく言い当てている。「金でしか繋がりがない」ということは「長期的な重荷や責任を背負わされるという憂いがない」ということと等価だ。

このようなノリで、いくつもの「これこれ」という記述がこれでもかというほど書かれている。

他にも、

回避型の人は、話をふられるととっさに反応できず、肝心なところで沈黙してしまうことと多い。ふだんから、感情によつまえ言葉が出てくるのではなく、頭で考えて言葉にしているからである。自分の気持ちではなく、相手の意図から逆算し、それに対して適切と思われる表現を選んで、言葉を組み立てるという作業を行えば、時間がかかるのは当然である。

これもあてはまる。特に、オープン・クエスチョンが苦手である。「何を言えば怒られないのか」の逆算ができない。あらゆるコミュニケーションを いかに相手の気分を損ねないようにするか で過ごしてきたが、普通の人は そんなこと を気にはしてなどいない。そこですれ違いが起き、生き辛さが増していく。

こういうことを言うと、普通の人は「その時思ったこととか言えばいいじゃん」と言うのだが、愛着に問題があると「その時思ったこと」が出てこない。

愛着に問題のある人間は、愛着の「安全基地」を持っていない。「安全基地」というのは傷ついた時に安心して戻れる場所のことである。たとえば小さい子供は何でもないようなことで喜ぶ一方、何でもないようなことで悲しむが、悲しいときに親が「悲しかったね」と子どもに共感して、子どもの 感情を肯定 してあげると、「少しぐらい悲しくなってもいいんだ」「失敗してもいいんだ」という安心感を得て様々なことに挑戦していけるし、自己開示のできる人間になれる。自己開示することがプラスになるからである。

一方で、悲しい時に「なんでそんなことで悲しんでるの?」「こうすれば悲しくなくなる」「ネガティブな考えを持っているからそういう考えが浮かぶ」「お母さんが○○して解決してあげる」などおよそ共感的な態度を親がとらず、 感情を否定 されると子どもは安心して自らの傷を癒やすことができず、結果として傷つかないような選択肢ばかりをとってしまう。また、「親の望む感情を持たなければ意味が無い」「悲しいのは未熟さゆえだ」「どうせ他人は自分のことをわかってくれない」という諦めから、自己開示することがしにくくなる。

その終着点が、 自分でも何を思っているかわからない になる。

要約してしまえばそれまでだが、問題は そうすることでしか問題を解決できなかった ことにある。その理由は、家庭で起きているから、ということに尽きる。

家庭は「病い」ですらある

子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方

子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方

  • 作者: クラウディアブラック,水澤都加佐,武田裕子
  • 出版社/メーカー: アスク・ヒューマン・ケア
  • 発売日: 2003/07/30
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内なる子どもを癒す―アダルトチルドレンの発見と回復

内なる子どもを癒す―アダルトチルドレンの発見と回復

いずれもアダルトチルドレンの問題に取り組んできた実務家の書籍であるが、いずれも家族という厄介なものの問題点をよく述べている。 「親の望む感情を持たなければ意味が無い」「悲しいのは未熟さゆえだ」「どうせ他人は自分のことをわかってくれない」のような、自分の感情を抑圧して他人の情緒的支配に身を任せてしまうのは、その支配者が他ならぬ親だからに他ならない。なぜなら子供は、親の庇護なしには生きられないからである。

そして、罪深いことに、その「間違ったやり方」以外にやり方を知らないゆえに、社会でも同じようなやり方を選択してしまうことがある。そういった人間が結婚すると同じやり方を子供に遺伝させ、不幸は連鎖していく。つまり我々は濃縮の末に産み落とされたのである。

じゃあ、どうするか

わかったら苦労しない。